松の手入れ

  • 2018.02.20 Tuesday
  • 21:07

JUGEMテーマ:日々のくらし




なんだかスッキリしすぎて、
わずかに付いてる松葉

古い松葉をむしり取って、新芽に光が入るようにと
ユーチューブ動画で学習して、剪定を始めたものの、
自己流で頑張ったが、スッキリしすぎた
新しい松葉が伸びてくれるのを、祈るばかりだ。

嫁に来て三十有余年、松が気にかかるようになったのは、ここ数年、
夫が遺していった、松ヶ枝に残る剪定の
跡を偲ぶ。
夫も、だいぶ自己流だったと思うが、
松は松らしく庭の一隅に佇み、花粉を飛ばすような事はなかった。


夫の剪定している姿は、たまにしか見なかった。
夫の剪定は、伐採に等しいなどと侮っていたあの頃。
夫は、人知れず黙々と、時季がくれば、毎年剪定をしていたのだろう〜。

松の樹勢は、放っておいても、松自身で、樹勢を整えるものと、

夫が健在だった頃は、そんなふうにぼんやり思っていたが、

とんでもなかった。

放っておくと、松の葉はモコモコ繁りその上に新芽がグッと伸び出し、穂から花粉が飛びだす。そうなってから慌てた。
最初は、人を頼んだが、毎年の事になると、人を頼んでばかりもいられず、自分で三脚を用意し、
手の届かないところは、
数本の枝は伐採した。

 

剪定鋏で、『これは残すか、ここは詰めるか』その判断の繰り返し、
無限回数、鋏を入れてまた放す。
精神修養だ。

何事も、真剣に集中してやっていかないと、疲労感だけが残る。
私は、自分がやった跡を写真に残し、数ヶ月後には、この松ケ枝がどんなふうに変わってくるかを、経過観察しよう。
目標を見定めて、それを超えようという心持ちで、松を養生したいと思う。
無限に続く繰り返しの疲労感から脱却するためにも、自分のやった跡を記録し観察する事を楽しもう!

有ると無いを考える

  • 2018.02.16 Friday
  • 23:25

JUGEMテーマ:日々徒然



本文と写真は無関係


「有る」と「無い」の違いは、
0なのか、1なのか、どちらなのかの違いとは、次元を異にする。


「0」、又は「1」の違いは明瞭だ。
しかし「有る」は「無い」の中にあり、
「無い」は「有る」の中にある。
「0」又は「1」は数理の世界。
「有る」又は「無い」は、人の気持ちが織りなす思索の世界。
思考の基盤を異にしている。


数理は、合理的で矛盾を排して、
理路整然とした計算は一貫しているように思う。

「無い」から「有」を創造する人は、矛盾を常に抱え持っていると思う。
人は、不条理な定理?の上に暮らしている。

人は自然界にあり、

自然界は人によって造られたわけではない

つまり、人は人によって造られたわけではない。

数理や定理、「0」か「1」かの判断で組み上げられて行く計算は、人が作り出した法則だろう。


だが、「有る」か「無い」かの違いは、人が作り出せるものではない。

人の思考とは、いったい何処から、発せられるものなのだろうか。



信用与信

  • 2018.02.13 Tuesday
  • 11:53



ユーチューブで
松葉の新芽を学ぶ
誰でもピカソにあやかって
誰でも哲人の立ち位置で
「信用与信」を考える

 

 

 

割賦販売が隆盛期だった頃、各地の駅前に同名のデパートが立ち並んだ
 

20代の頃だったと思う 
私の暮らしには無縁なものだったが

ショーウィンドーは、華やかなファッショで飾られていた

 

 

「信用与信」という言葉には、クレジットの意味もある

 

 

割賦販売が成立するには、
「信用与信」(無いものを有るものに変換させるエネルギーと考える)が、
売り買いの両者間にある
 

 

有る物は有る、無い物はないというレベルの暮らしだと、

 

「信用与信」には、違和感を感じる。

 

しかし「信用与信」は正義であり、

 

其れがなかったら(貨幣)経済は発展も拡大も望めない

経済状況が、今日と変わらず明日も同じように続くとき、
「信用与信」は、経済活動の大きなエネルギーとなると思う。



例えば、今は、カップ半杯しかないお金なのに、全部満たされていると信じる、
(今は)無いが、それは「有る」のだというように、今は無くてもこの先に「有る」ということを信じる

では、何を持ってそう信じるのだろう、「有る」を信じる根拠は何か、
「信用与信」を、経済活動エネルギーにしているものは何か、

「有る」が、信じられるのは、人の労働力・生産力に根拠を置いているからだろう


「信用与信」エネルギーにより、無いものは、有るものに変換される。

「信用与信」エネルギーの源は、人の労働力・生産力ということになる。

労働力、生産力をもって
人は、『無』から『有』を創り出す存在なのだろうなぁ〜。


植物は、どうだろう〜、
植物もまた然り、葉が芽吹き繁り、また葉を落としては、その樹木を大きくしている。
目立た無かった木が、目立つように有る。
『無』から『有』へと変化させる後ろ盾は、時間だと思う。

しかし、バーチャル世界には、
[時間]という概念がないと私は、考えている。
[時間]が存在を担保するものであるならば、
存在の基盤である[時間]が《無》状態となっていると思われる《バーチャル世界》は、

ゲームでしかないように思われる。
ゲームは、突然始まり突然終わる、昨日の続きが明日に続くわけではない。
ところが、ゲーム世界にも、「信用与信」はあるように思える。

時間が《無》状態なバーチャル世界と、
時間により担保されている現実世界と、
両方に跨って、「信用与信」エネルギーは、無から有の変換エネルギーとして、
作用していることが、様々な社会問題を引き起こしているようにも見える。
[時間]とは何か、とても難しい問題だ


去年の松葉を取り除き、新芽に
光が差すようにするといいそうだ
ユーチューブ動画で、学習中

タブレット台

  • 2018.02.11 Sunday
  • 22:14

 



ちょうどいいタブレット台が、見つかった。300円はお買い得だと思う。

タブレットを使い始めて早一年経とうとしている。

いくつかのアプリを入れてある、そのアプリで、動画もテレビ放送も、映画も観られる
観られるタイトルは、限られているが、
観ていると直ぐに時間は経ってしまう。
アンテナも繋げてないのにテレビが映る、DVDを入れてないのに映画も出る。
朝はアプリ(ユーチューブ)でラジオ体操!

ユーチューブ動画では、投稿者のビデオ
を観て、植木の手入れから料理まで、色々と学んでいる。


タブレットで語学を学ぶ予定だったが、
kindle(アプリ)に、NHK語学講座を、ここ数ヶ月毎月号購入して入れてある。
対応する音声も、NHKダウンロードストアから購入してダウンロードしてあるのだが、怠けている。

欲しかったものを手に入れると、そこで止まってしまう、良くないことだ。
学習意欲を持続させよう〜


「在るもの」とは、
それが人の思索の中に、思惑の中に、社会システムの中に、人の心の中に、人という中継地を介した中にあるものであるならば、
そういった「在るもの」とは、
無縁な時空に『在るもの』を見つけ出してみたい。

「存在するもの」とは

  • 2018.02.11 Sunday
  • 19:47


「誰でもピカソ」にあやかって、
「誰でも哲人」という立ち位置で、
「存在する」とはどういうことか、について考察を試みる。

何物かが、有る。とは、
その有るを、認識する何物か、
意識主ともいうべき受け手が居て、有るは、成立するように考える。
そう考えると、何物かがある、つまりは「存在する」を保証するものは
人間の頭の中だろうか。否、地球上に人間がいなくても「存在するもの」
は、有り続ける。
ならば、「存在するもの」の、ほんの一片の生命体が、人間なのだろうか。
人は原始時代から現代に至るまで、破壊と創造の繰り返しで、
人類社会として勢力を維持している。

その破壊と創造、戦いと安寧を牽引するエネルギーのもとは何か

人の頭の中にある意識世界だろう。

心理学が研究するところの人の心の働き、人の気持ちとでも言えるだろうか。

そう考えると、「存在するもの」は、人が頭の中で捉えたものともいえる。

人は、個々人の身体は個別だが、意識は、個別ではなく共通の言語で繋がっている。
社会システムは、不特定多数の人の意識の中に、同一のものとして有る。

社会システムは、日々再構築され、進化し或いは硬直化し、曖昧模糊として
確たるものはない。
社会システムは、流動的で、日々刷新を繰り返す。

明日はわからない、だから明日だと最近気付いた。


社会システムとは、行政、社会インフラ、教育、経済、金融、貿易、物流等の、
つまりは、人が、人類として生活する上で欠くことのできない重要な規準であり基盤だ。

人類は「存在するもの」を創造するが、「存在するもの」に内包されているように思う。

「無限」が存在するのは、「有限」の中だろうか、
存在するものであれば、かたちが有るはずだから、
かたちが無ければ存在しない。
しかし、「無限」が存在しないというならば、
なぜ、「有限」という概念が生じるのか。

無限も有限も、何かを説明しようとするための、便宜上の概念にすぎないと思う

「存在するもの」が有るということは、
有るを保証するものは、一体、なんなのだろうか
結論付けられるような簡単な問題ではないと思う

 

私に似てる

  • 2018.02.09 Friday
  • 19:20

JUGEMテーマ:日常


『ドッシンしちゃった』
両手に、シャボン玉の遊具を持って
原っぱを駆けて転んだ、この一言

『ドッシンしちゃった!』
幼児語は楽しい。

地球にドッシンしちゃったのかな
まるで詩人のようだ!

可愛い盛りが、母親にとっては、超大変な時期だと思う。
私は、超大変だった。
掃除洗濯炊事&育児。あれやこれやの思い出が、走馬灯のようにグルグル回る。

今は、送信されてくるビデオや写真を見て、子供の幼児の頃を思い出している。

生まれたてホヤホヤから、私のように高齢者(前期高齢者というのかなぁ〜)になるまで、長いようで短い時の経過
孫たちを見守っていこう!



磁石が着装されている遊具で、
形作りに熱中してる!

 

おばあちゃんの仕事

  • 2018.02.08 Thursday
  • 08:30

JUGEMテーマ:日常



一歳の坊や:小さなトーマスもって
子守りは、大切な『仕事』
『仕事』なので、創意工夫と観察力と注意力、

業務遂行の為には、気力や緊張感も大事だ。

なにはともあれ、一番の必須は、体力かな。

幼児の背丈にかがんでの、

拙い歩行の見守りやら、

急な動きに付いて回る素早い動き。

朝は、ラジオ体操を励行している。
ラジオ体操を始めてからは、
身体も頭も目覚めがいいように思う。


2歳の坊や
魔女の宅急便のセリフを言って
遊んだりしてる

 

写生(蜂の巣)

  • 2018.02.01 Thursday
  • 17:07


外仕事は、今日もお休み。

 

 



巣は、素材は木の皮を噛み削ったもののようだ
蜂の口の小さな、尖った何かで、削りとった木肌。
文様は、樹皮の種類に応じて、色分けができているようだが、
アートしている。

ユーチューブで動画が、たくさんアップされていた。
蜂の巣作りや、蜂の行動をユーチューブで見ていると、感動する。蜂は凄い。
それを、撮影する人は、もっと凄い。

蜂が苦労して造営した巣を、
持ち去った罪の償いに、写生は完成させよう。

袋から出して写生を始めた、


なんとか一日粘って、ここまできた

あと、もう少しガンバだ。
手触りは、ふんわりしていて、
ソフト、コルクのよう。
この巣は、まだ築1年かもしれない。

長楽寺の渡月橋

  • 2018.01.31 Wednesday
  • 22:15

JUGEMテーマ:日々のくらし

植物は凄い
人の歴史を超えて
自然が織り成す造形に嘆息














歴史の栄枯盛衰を、歴史に寄り添う人の心を、この池は映してきたのかもしれない。

 

近くの史跡へ

  • 2018.01.30 Tuesday
  • 21:36

JUGEMテーマ:日々のくらし

太田市新田のジョイフルホンダまで、
姉のアッシー君をしたついでに、
新田と世良田の史跡を散策。

照明寺『反町館跡にある大きいお寺』
境内の松




お堀の方へ枝を伸ばすクスノキの大木
根元で、太い数本の幹が分かれ、
その太い幹が、自在に伸びている
まるでヤマタノオロチのよう




徳川家康公ゆかりの世良田東照宮


世良田の東照宮本殿


本殿の奥にあるお廟






『材木で木造りを始める儀式』とある

縁起絵巻を紐解くような、
アナウンスも流れていたが
(今日は拝観料300円を納めたので中に入れた)
内容は、殆ど記憶に残っていない

徳川家康公の功徳は、
現世の、私のごとき末端の市民をも魅了させる。
なんだか良く分からないけど、
凄い人だったのだろう。


言えることは、
私は、1950年代に生まれてよかった〜!
江戸時代や、国が戦争してる時代に生まれなくて、本当に良かった。



スマホ片手に、
古の人の苦労に畏敬の念を抱きつつも、
気楽に、重厚な文化財を堪能できることに感謝。
夫と二人で、ここにきてから、
かれこれ十年近くなるかな、
今日は、一人で思い出を辿っている。

一人では、出かけるのも億劫で、
姉の用事がなければ、来れなかった。
姉は、草木染めのショールや衣類を、
手作り作品展(ジョイフル本田2:ギャラリーJ に、
手作り仲間と出品している。

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